聖書を何と考えるか」についての様々な立場。


聖書が何であるのかは「聖書解釈の前提」となっています。その前提にしたがって、それぞれの立場の聖書解釈学が多種多様に存在します。

 ですから、聖書解釈をする前に「聖書 と言う書物がどういう立場の書物で在るか」と言う事を確定しなければなりません。「聖書は信仰の書であるから学問の対象にするべきではない。」と言う宗教書(聖典)と言う 考え方を取り上げてもその実際のとらえ方は実に様々です。


先ず聖典の範囲に関しても実に多様な考え方が存在します。以下に簡単に記します。

・キリスト教会の聖典は新約旧約→ギリシャ正教、カソリック(非ローマ)、ローマカソリック※、プロテスタント諸派、) 。

    ※注:ローマンカソリックと言われる教会ではキリスト教会の中で唯一旧約聖書の外典を聖典に加える。(外典とはヘブル語の原典が存在しないギリシャ語で記された中間時代=BC3-1世紀の書物)

  ・ユダヤ教の聖典としては旧約聖書とタルムード(口伝律法=63巻リンク参照)が ある。

     タルムードとは紀元前6世紀頃からユダヤ教のラビによって記された聖書の口伝解釈(ミシュナー)を纏めたもの。新約聖書の中でキリストによって「先祖の言い伝えによって神の言葉=聖書を無効にしている。」(マルコ7章9節)と糾弾されている。右は現在出版されている タルムードの一部。左はその中身で中央に口伝律法のヘブル語本文がありその周囲に注釈が記されている。 
           

・イスラム教ではクラーンの他にモーセ五書のみが聖典とされています。

それ以外にもキリスト教系の新興宗教としてユニテリアン、クリスチャンサイエンス、スエデンボルグ派などは聖書聖典を受け入れています。

キリスト教系の異端としてキリスト教外に分類されるウオッチタワー(エホバの証者)、ジョセフスミス派(モルモン)、統一神霊教会などは聖書を教典としている様ですか、 必ずそれ以外の文書を発行し、それに聖書解釈の絶対権を付与し、結果的に聖書原典の明確な主張を無効にしています。  


 それぞれの聖典を踏まえた上に聖書解釈の後ろに隠されている問題が暗礁の様に存在します。

その問題とは、 それぞれの宗派※や教派にはその組織の内部では当然の事として受容さ来れている

「主義」というもの の現実です。

   注釈※宗派は民族を超えて存在しユダヤ教、キリスト教などを指します。

     キリスト教では教派は、ほぼ話される言語=民族別に分類されます。

ですから、聖書を解釈する時に気を付けなければならない問題は、聖典の範囲丈ではなく、それらの宗派や教派の特質丈で もなく「聖書を解釈しているグループそのものの内側に密かに隠されている主義」と言う事を認識する必要が在るのです。

   それぞれの宗派や教派や縦断して言葉にされること無く存在している 「主義」と言うものもを認識して初めてそれぞれの立場の聖書解釈の妥当性や可否が判断出来る様になります。


「主義」とは聖書の教えと言うよりは聖書が読まれてきたそれぞれの時代に流行っていた学問と考えると良いかと思います。それらの主義には、近代主義、神秘主義、正統主義、新正統主義、スコラ哲学(=ローマンカソリックの主流)、二元論、聖霊主義、など多種多様の 人間の思考形態や好みなどが前提となって聖書解釈学に 入り込んできているのです。

  これの「主義」がそれぞれの国家や民族単位に構成されている様々なキリスト教宗派の中に複雑に入り組み、実に様々な聖書解釈の立場が存在しているのです。

それらの全ての立場を学ぶ事はあまりに 煩雑でその上取り扱う分量や範囲が厖大で現実には不可能なうえ、確証できない曖昧さも含んでいます。

そして、この前提が全く記されずにそれぞれの立場によって聖書解釈学が論じられ、その結論を当然の事としてどこにもその事の釈明も無くいきなり聖書の解説や翻訳が多種多様に成されて いるのです。 

まあ、前提は当然それを共有しているグループ内においては確認不要の真理と見なされているのですから部外者がそれを察知するにはかなりの困難が存在します。

 何故なら、もし、隠されている「主義」と言う前提に疑問を抱いたり、批判をしたならそのグループから異端視され放逐される結果をもたらすでしょう。だからその前提は組織内で絶対に明文化される事が無く、当然の真理として無意識の内に存在しつづけているため当事者達にとっても部外者にとっても言葉に上げて問題にする事は実質不可能なのです。 


聖書についての研究をされるなら上記に簡単にご紹介した「前提」をまず確認してその後にその立場に立った翻訳なり注解書などを読まれるようにされると良いでしょう。

以上の事を踏まえた上で、以下に簡単な「聖書に関する前提 」の諸相を記します。

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聖書に関する前提の諸相

 
           
           
   聖書は人間が考え出した単なる教えの集大成   
     
           
           
           
   聖書は真実だけが書かれている信頼できる歴史書  
     
     
           
           
           
   聖書は歴史的には全く信憑性のない出鱈目な古代小説   
     
     
           
           
           
   聖書は玉石金剛の古典でその史実や虚構が入り乱れて判読不可能な古典文学  
     
     
           
           
           
    聖書は捏造され粉飾されたイスラエル民族の神話  
     
     
           
           
           
     聖書はイスラエル民族の建国と破綻を赤裸々に記した反省の記録  
     
     
           
           
           
     聖書は神の霊感に従った、真実(=人間の評価を加えない史実)の記録  
     
     
           
           
           
     聖書はキリスト教会が捏造した宗教教典   
     
     
           
           
           
     聖書はユダヤ人によって記された民族の歴史記録  
     
     
           
           
           
           
           
           
           
           

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2007年04月16日