聖書解釈(翻訳)の基本 

 聖書釈義の原則 (一般的 基本原則) トップページ表示


  聖書は3400年以前から約1500年もの長い時間をかけて記されました。聖書を記した言語も、ヘブル語、アラム語、ギリシャ語と変遷します。その時代背景や、地理的背景も大変複雑です。 しか し、この聖書は完結から2000年を経た21世紀現在においても最も多く出版され、様々に引用されているのです。 

         

 1947年に最古の旧約聖書写本(死海写本)が発見されたクムランの洞窟。以前に現存していたヘブル語旧約聖書写本はAD12世紀頃に記されたマソラテキストしかなかった。この発見により 前世紀初頭の近代聖書批評学は歴史から完全に葬り去られた。  

 クムランで発見された旧約聖書やその注解書などが記された死海写本の現物。書写年代はBC3〜4世紀と推定された。AD12世紀に書写されたマソラテキストとほぼ完全に一致し、旧約聖書の成立年代の学説を一気に10世紀以上も遡らせた。
         

 この聖書をどう読むかと言う事が一つの学問となりそれが「聖書解釈学」です。

  その聖書解釈学自体も、聖書が最初に記された紀元前1400年以来、学問として存在します。その厖大な学問の一部分が「聖書釈義」 です。これは歴史を踏まえて確定された聖書原典の本文をどう読むかを取り扱います。これら全てをここに解説することは物理的に不可能ですから、ここでは聖書を読む=解釈すると言う場合記最も大切な前提を見る事にします。 

   聖書を解釈する時に一番大切な事は「聖書を何と考えるか」と言う事です。読む人の 聖書理解(聖書に対する認識)が聖書解釈のあり方を左右します。そのことを踏まえながら聖書を解釈する意味をご一緒に考えましょう。

    聖書を何と考えるかの様々な考え方のご紹介。


  「聖書を何と考えるか?」と言う立場は多種多様です。しかし、聖書が自分自身に成している自己主張は簡単なものです。ここではその立場=聖書が主張している聖書観に 立った聖書解釈をご紹介したいのです。


   これは私が牧師をしている教会で以前お話した内容のアウトラインです。


聖書が主張する 聖書解釈の前提=聖書は全知全能の神ご自身の意志を啓示した記録


   聖書が何であるかと言う疑問に対しては様々な立場が存在します。しかし、此処では聖書自身が聖書に対して主張している事を見てみましょう。その主張にしたがって3つの主要 点を記します。



T・ 神様の仕事 (聖書は全知全能の創造者である神様の啓示の記録)

             1 神様 は→聖書にご自身の意図を記すことを願われた。 権威の根源 


      2 聖霊が→聖書に記す内容を人間(預言者や使徒達)に伝達した


      3 霊感を受けた記者→モーセや預言者、12使徒、パウロが聖書を正しく記した。


      4 聖書記者は本文を著作擦る時に→自分達の民族の言語を用いた。

                      (=ギリシャ語、ヘブル語、アラム語)
            文化(習慣)      時代(地理政治歴史背景)等の制約 


      5 神の主権により人間によって記された聖書本文は棄損無く保存された。

           現実には本文批評学により確定された信頼出来る本文が現存する。 


 この様にして現実の 地上に存在すのは聖書原典で、 そこに神様の御意志が人間に理解可能な形で記録されている。

この聖書原典(ヘブル語ギリシャ語アラム語の原典)が 地上における最高の権威なのです。


  これ以下の説明の要約 

  聖書を解釈するならそれはヘブル語やギリシャ語の原典で解釈されなけれは成りません。翻訳されたラテン語訳ウルガタや欽定英訳(キングジエームズ訳)や日本語の様々な翻訳聖書 そのものは既に解釈された結果であり、それを解釈するのは「解釈の解釈」となり無意味なのです。


ここまでは、聖書が主張している聖書解釈の 前提です。そして次なる 問題は人間(あなたや私)が聖書を理解する手順です。


U・ 人間の仕事(全的に堕落した人間の蒙昧さと無知、無理解の存在を前提に) 


★ 注意 (★順序が大切、★上位は下位に対して★圧倒的重要性を持つ)
 

          1・確定された本文の入手 (写本間の異動に対しての基礎知識が必要)

        本文批評学によってどの系統の写本の記載が信頼性が高いかの知識  
           
          2・確定された聖書原典本文の解読 


         T・文法 語形の持つ意味の確定 単語の分析単語の意味の確定 
               単語の一般的用法文法理解)辞書レキシコン前後関係との調整  
               文脈の位置づけ(前後関係)構文理解 
               文書全体での位置づけ(他の文脈との相関関係) 
               著者全体での位置づけ(他の書簡での用例・コンコルダンス) 
               新(旧)約聖書全巻での位置づけ)(コンコルダンス)

         U・神学的考察 
                ・組織神学等からの類推、疑義の有無と調整
                ・実践神学 教会形成上の意義を配慮
                ・教団や国家の利益の調整  
                ・多宗教や科学等他の者社会的一般常識や概念との調整

        3・翻訳者や翻訳委員会や出版社等に対する経済的利益や人間の評価や名誉   


  これが聖書の言っている聖書に関する全てではありません。 聖書は興味深い事に聖書が間違って読まれるために悪霊が働いていると教えているのです。以下にその事を記します。


V・悪魔の仕事(翻訳の問題)

 (聖書をその言っている事とは全く反対の意味にして人間を神様から離反させる)


出版の莫大な経費の問題

          ・悪魔は上記原則は熟知しているのでそれぞれ各論には反対しない。彼が取る常套手段は以下の通り。

        翻訳者や解釈者の資質うんぬんではなく、翻訳の最大のアキレス腱である出版の収益性を最重要にして、

       上記原則を根本から逆転させ神様の意図とは全く逆の原理を作動させる。

★人間に喜ばれ歓迎され売れて儲かる経済性の優先という誘惑によって

   荒野でイスラエルの民が神様の御言葉を直接聞く事に耐えられないほど厳しかったものを、

   普通の人間がそのままで厳しい神様の御言葉を人間に受け入れやすくする為に曖昧にし、

普通の人間が受け入れ難い教えを,人間が誰でも理解出来、評価しやすい言い方や内容に

解釈(曲解)表現し、人間の自尊心を破壊し、自然の欲望を否定している部分を逆に肯定し、

また満足させる様に改竄し、人間に関して教えている厳しい聖書の断言的内容や厳しい表現

(ほとんど聖書の全体)は、そのままでは人間が理解できないし、受け入れられないので徹底

的に 、人間が受け入れやすい内容に高等文法と言う詭弁を弄して見事に都合良く改竄します。


(2ペテロ1章 20節のギリシャ語原典は明確に人間の一切の解釈の禁止を明記しています。)

★ここも誤訳、邪訳です★

それらの行為は全て、出版時の販売実績を上げるのが目的で、出版者(社)を血眼にさせます。

 翻訳者が出版社が世俗の富を獲得する為に(表面上はより聖書配布を実現する為の

経済的基盤の確立と言う名目) 神様の意図 (聖書原典の記載事項が妥協を強いられ、

ひいては反故にされ 結果として悪魔は神様の意志が人間から的外れの意味に

差し替える事を見事に達成しています。


 以上の結果、改竄され確定した翻訳聖書は経済的自立の為に様々な調整が終わり漸く、

各教団教派信徒の手元に配送される。これはすばらしい悪魔の仕組みです。 

★問題点は明確です、売らんがためにはどうしても聖書原典の主張をそのまま表しては

経済的に自立出来ず、評価もされず、その様な余りに現実社会から遊離した主張を、

そのまま記した翻訳聖書出版は経済的に成り立たず。その結果として優れた聖書翻訳

(神様の目に)は決して日の目を見る事は出来ないのです。 

(だからどうしても聖書原典を理解した朗読か、その過程を経た説明=礼拝説教が必要)

このような意味を踏まえて、現実の世界に翻訳され出版されている聖書に学的権威を

与えている諸団体(O大等)に対して、その主張や評価を鵜呑みにするのではなく、果たして

その団体が神様の聖書からどう評価されているかを再評価(もちろん聖書原典の主張を基準

にして、その適合度によって、それらの団体の信用度を評価します。)することが肝要なのです。

地上のどんなに権威在る所であってもそれら聖書から評価される下位の団体にすぎない事を

認識しなければなりません。結論は以下です。


 経費を支出する人の利益のため聖書本文が改竄される

様々な学者、権威団体、神学、教派、政治家たちの干渉や介入をへて改竄され、

収益を見込んで大量に印刷され廉価(高価)な価格を設定され書店に陳列された、

入手可能な印刷された翻訳聖書はこの権威の序列の

最下位に位置して存在しているのです。


以上の事を踏まえた上で私たちは最高の権威である聖書の理解を持たなければなりません。


その結果翻訳された聖書にはどうしても神様の意志に反して人間の利益の都合に合わせて訳出される。

ですから地上における★ 最高の権威は翻訳せれた聖書では無く、

神様が霊感された聖書原文のテキストの主張にあるのです。       


よく注意してください。様々な教派や権威や学術団体や第一人者が聖書翻訳に権威を与えるのではありません。

全く逆に原典の聖書本文そのものがが独占的に超越した権威として存在します。

そして聖書の持つ最高の権威だけが、様々な人間どもの営み(翻訳や学説等)を査定し

その実言葉に対する忠実度に従い、権威の序列を形成させるのです。

それは人間の理解や認証の有無を超過しています。

そして様々な人間の行った翻訳や解釈やお説とそれを取捨選択し、

自己の優位性を執拗に主張している愚かで無知な人間どもの権威を争う諸団体にたいして、

全く正反対に聖書そのものが権威を賦与し得る物なのです。


そう、聖書そのものが最高の権威なのです。 もう一度言います。

決して人間の構成する諸権威団体が、翻訳者や、聖書翻訳に権威を賦与するのではありません。

聖書原文にどれだけ忠実かによって聖書翻訳やそれに携わる人々の信憑性ひいてはその権威が

認識されるべきなのです。そしてそれは人間の住む地上では決して確定されません。

この地上ではなく神の支配の完成されている天国で初めて明確に表される物なのです。

以上を踏まえて、私達は、聖書翻訳に関わるあらゆる事象を、聖書原典に照らし合わせて

格付け、評価させ、受容されあるいは排斥されねばならないのです。

それは一人一人に聖書原典に対する知識を、その知識量と忠実度を日々向上させる事を要請するのです。


言い換えれば、原典の分からない人は事この権威に関する議論に対して黙するべきであり、

様々な人間たちの評価に対して聞く耳と見る眼が無い事を承諾し、

聴覚も視力を失った主の前の滅びゆく罪人に甘んじる人生を選択する事を善しとしたのです。

もとより、そのことの自覚さえ在れば、主イエスの救いの選びに預かる妨げは存在しません!


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2007年04月29日