キリスト教を信奉する方々に問題があると言う事は紛れもない事実だ。 原因は自明だ。その信仰の根幹が事実に基づく信仰ではなく「心情」に基づいた心のあり方を信仰と取り違えている節が見られるてんがそれだ。

  信仰とはその様な人間の主観や心の問題なのではない。聖書の信仰は事実を正しく事実と認識して他者の介入を完全に排除した自己認識のうちに基盤を持ちうるものでなければならない。

  この様な