新約聖書 使徒15章 36節の解説

・後に また いくらか 日々 彼は言った 方に バルナバ パウロが、戻る だから 私たちが監視する その 兄弟達を 下に 町 全て 中に 所の 私たちが福音を伝えた  その言葉を その主の、 どのように 彼らが持ち続けているか。 


関連聖句(直訳) 

・使徒20章30節・そして 出て あなた方 自身(彼) 彼が確かに立ち上がる 男が 話しながら そらされる  その 引き抜くこと その弟子達 を 後に 彼自身  


初代教会でパウロとバルナバは前回の伝道旅行で設立した教会を監視する為に第二回の伝道旅行を企画した。この監督と訳出したギリシャ語 エピスコポーはこのまま里英語となり監督を意味している。ギリシャ語での意味は、エピ(上から)スコポス(監視するとなり監督と訳される。

  ここで注意しなければならないのは、使徒の働き15章に登場したハイレシス(5節に登場)という言葉である。これは明確に異端を示しており、間違った信仰のあり方があったことを示している。

  この使徒15章の最初の教会会議の議題は「信仰+行い=救い」なのかそれとも「信仰=救い」なのかであった。結論は明白に 「信仰=救い」 であって行いは救いに不必要であることを結論づけている。

   しかし、何時の時代にも人間は行いによる救いを期待しており、それに反する「信仰=救い」という福音を維持する為に監視が必要であったことを教えている。

 従って初代教会は完全な理想的な教会などではなく、今日の教会と同じ不完全で問題の多い存在であった事がわかる。そしてこの言葉は今日の教会にも有効であり、一人一人の信仰のあり方や教会の運営は聖書に従ってなされているかを相互に監視されることが必要不可欠である。

  そして問題は、聖書がなんといっているかを翻訳に頼らず原文にしたがって的確に理解掌握していることが肝要となる。 


2005年01月11日

 

 

 

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